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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(あ)411号 決定 1983年5月24日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人村岡清の上告趣意は、「(一) 信用保証協会が金融機関に対し保証債務を負担することが、直ちに同協会に損害を生じさせるものとはいえないから、被告人の行為により同協会が保証債務を負担したときに背任罪が既遂になるとした原判決の判断は誤りである。(二) 信用保証協会は、元来、経営に行きづまったり資産が不足している担保力の弱い中小企業に対する援助機関であって、当該企業が単に破産に陥る危険があるという理由でこれを放置することはできないから、同協会にそのような企業の債務を保証させたからといって、同協会の業務担当者が背任行為をしたとはいえない。」というにあるが、右はいずれも単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ、職権をもって、次のとおり判断する。

一  刑法二四七条にいう「本人ニ財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキ」とは、経済的見地において本人の財産状態を評価し、被告人の行為によって、本人の財産の価値が減少したとき又は増加すべかりし価値が増加しなかったときをいうと解すべきであるところ、被告人が本件事実関係のもとで同協会をして小島一二の債務を保証させたときは、同人の債務がいまだ不履行の段階に至らず、したがって同協会の財産に、代位弁済による現実の損失がいまだ生じていないとしても、経済的見地においては、同協会の財産的価値は減少したものと評価されるから、右は同条にいう「本人ニ財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキ」にあたるというべきである。

二  また、信用保証協会の行う債務保証が、常態においても同協会に前記の意味の損害を生じさせる場合の少なくないことは、同協会の行う業務の性質上免れ難いところであるとしても、同協会の負担しうる実損には資金上限度があり、倒産の蓋然性の高い企業からの保証申込をすべて認容しなければならないものではなく、同協会の役職員は、保証業務を行うにあたり、同協会の実損を必要最小限度に止めるべく、保証申込者の信用調査、資金使途調査等の確実を期するとともに、内規により役職に応じて定められた保証決定をなしうる限度額を遵守すべき任務があるものというべきである。本件においては、信用保証協会の支所長であった被告人が、企業者の債務につき保証業務を行うにあたり、原判示の如く、同企業者の資金使途が倒産を一時糊塗するためのものにすぎないことを知りながら、しかも、支所長に委任された限度額を超えて右企業者に対する債務保証を専決し、あるいは協会長に対する禀議資料に不実の記載をし、保証条件として抵当権を設定させるべき旨の協会長の指示に反して抵当権を設定させないで保証書を交付するなどして、同協会をして保証債務を負担させたというのであるから、被告人はその任務に背いた行為をし同協会に財産上の損害を加えたものというべきである。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官団藤重光、同谷口正孝の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

一  従来の判例によれば、刑法二四七条にいう「財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキ」とは、財産上の実害を発生させたばあいだけでなく、「実害発生の危険を生じさせた場合」をも包含するものとされている(最高裁昭和三七年二月一三日第三小法廷判決・刑集一六巻二号六八頁、同昭和三八年三月二八日第一小法廷決定・刑集一七巻二号一六六頁、なお、大審院昭和一三年一〇月二五日判決・刑集一七巻一七号七三五頁)。背任罪は危険犯ではなく侵害犯なのであるから、この判示は表現として誤解を招きかねないものを含んでいるようにおもわれるが、その趣旨は、まさしく、「経済的見地において本人の財産状態を評価し、被告人の行為によって、本人の財産の価値が減少したとき又は増加すべかりし価値が増加しなかったとき」をいうものとするにあると考えられる。本件判旨は、従来の判例の正しい趣旨を明確にしたものにほかならない。

わたくしは、もちろんこれに賛成であるが、ただ、判旨が「経済的見地」を基準としていることについて、一言しておきたいとおもう。けだし、財産状態の評価について、経済的見地だけでなく、事案によっては、修正原理としてさらに法的見地を加味しなければならないばあいがありうるとおもわれるからである。たとえば、公序良俗違反の理由で無効とされるべき法律行為が介入しているばあいに、純粋に経済的価値だけに着眼して背任罪の成否を決するとすれば、公序良俗違反の法律行為を是認する結果を生じるおそれがあるであろう。しかし、いずれにせよ、本件はこのようなことが問題となる事案ではない。判旨がこの問題に言及していないのはそのためであって、法廷意見も法的見地をいっさい排除して純粋に経済的見地のみを基準とするほどの積極的な趣旨を含むものではないと、わたくしは理解したい。そうして、わたくしは、その趣旨において、この法廷意見に同調する者である。

二  本件を特徴づけるのは、信用保証協会の事案であることである。これは、背任罪の構成要件中とくに「任務ニ背キ」の要件にかかわりをもつ。信用保証協会は、中小企業者等が金融機関から貸付を受けるについてその債務を保証することによってこれに金融援助をあたえる任務をもつものであるから(信用保証協会法一条参照)、その業務は、本来、ある程度の財産上損害の危険を覚悟しなければならないものであり、したがって、協会の役職員が職務を行うにあたって、ある程度の危険をおかして協会に財産上の損害を及ぼすことがあっても、ただちに任務の違背があったものとすることはできない。しかし、このように協会の信用保証業務が微妙なものであるだけに、役職員が職務を行うについては、協会内部にこれに対処するための態勢が整えられているのが一般であり、本件協会においても、「事務決済規程」(記録第五冊一九八七丁以下)が設けられていることがうかがわれる。役職員各自は、それぞれの役割に応じて、定められたとおりにその職務を行うのでなければ、協会の業務にいつ破綻を生ぜしめることになるかわからないのである。被告人は本件協会の一支所長の職にありながら、上記「事務決済規程」によって内部的に定められた支所長としての権限の範囲を逸脱して本件行為をしたのであった。もちろん、形式的に「事務決済規程」に違反することがすべて当然に任務の違背になるものということはできないが、協会の業務を適切に行うために重要とみとめられるような内部規制に違反することは、当の役職員にとってあきらかに任務違背になるものといわなければならない。したがって、仮に本件において、正規の手続をとったとすれば協会として本件保証が認容されたかも知れないという余地があったとしても、そのことは被告人の任務違背の有無を左右するに足りないのである。(いずれにせよ、本件では、法廷意見に要約されているとおり、被告人は、「支所長に委任された限度額を超えて右企業者に対する債務保証を専決し」たというだけでなく、さらに「協会長に対する禀議資料に不実の記載をし、保証条件として抵当権を設定させるべき旨の協会長の指示に反して抵当権を設定させないで保証書を交付するなどして、同協会をして保証債務を負担させた」のであるから、任務違背にあたることについては、問題の余地がないというべきである。)

裁判官谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。

一  所論は、本件において、刑法二四七条にいう財産上の損害を加えたといいうるには、信用保証協会が代位弁済をし、あるいは求償権の行使が事実上不可能に帰するなど具体的損害が現実に発生することが必要であるという見解に立っているようであるが、同罪にいう財産上の損害とは、必ずしもそのようなものであることを要せず、経済的意味において全財産的価値の減少をもたらすと評価される債務を負担させたこと自体で足りると解すべきである。このような損害は、判例上、しばしば「実害発生の危険を生じさせた場合」と表現される(最高裁昭和三三年(あ)第一一九九号同三七年二月一三日第三小法廷判決・刑集一六巻二号六八頁等参照)が、その判示は、本人をして債務を負担させた場合について、その債務を弁済させるなどの具体的損害(実害)が発生することは必要でないという見解に立った上で、本人をして債務を負担させたという事態を法律的観点から捉え、本人をして事実上債務の履行を免れえない地位に置いたということを説明しただけのことであって、実は、本人に当該判例掲記の債務を負担させたこと自体で、本人に経済的意味において財産上の損害を加えたものといえるわけである。したがって、本件においても、同協会をして原判示の債務保証をさせたこと自体で同協会に損害を加えたものとすることは、当裁判所の判例上からも当然のことである。また、このように本人をして債務を負担させたことじたいを目して財産上の損害を加えたと解しても、背任罪の財産罪としての性格を基礎づけている財産上の損害の概念を無内容なものとし、あるいは同罪の未遂犯処罰規定の適用される余地を不当に狭めることにはならないと思われる。

なお、附言すれば、背任罪の成立要件である財産上の損害の意義については、法律上の保護に値しない経済的損害までをそのなかに取り込むことは同罪の財産罪としての性質上相当でないと考える。この点については、私としても団藤裁判官の所説に全面的に賛成するものである。経済的損害については法的観点からの規制が要求されるものであり、財産上の損害は法的=経済的観点からとらえられるべきものと思う。もっとも、本件は財産上の損害の発生について法的観点からの規制を考える必要のない場合であるから、前記判例の理解のしかたとして、「実害発生の危険を生じさせた」というのは、経済的意味において本人に財産上の損害を加えた場合を判示しているものである、と説明しておいたのである。

二  ところで、信用保証協会は、中小企業者が金融機関から融資を受けるにあたり、中小企業者が金融機関に対し負担する債務等の保証をすることを業務としている(信用保証協会法二〇条参照)うえ、その保証によって得る同協会の収入は、わずかな信用保証料(当時年一・二二パーセント)であって、多くの場合実損の危険に見合うものではないから、同協会は、その業務の正常な運営によって負担する保証債務によっても、その債務負担の時点においては、ほとんど常にある程度の財産上の損害(換言すれば資産減少評価)を受けているともいいうるのであり、しばしば行われる、いわゆる病体の中小企業者に対する救済的保証の場合には、その損害はさらに大きいものと評価されるのである。

したがって、同協会役職員の行う保証業務行為が背任罪に該当するというについては、その債務保証によって同協会に損害が生じたか否かという点以上に、当該役職員の行為の違法性すなわち任務違背の有無の点が重要な問題となるのであって、単に同協会に前記の意味の損害が生じることを知りながら債務保証業務を行ったというだけでは、同協会の業務の前記特殊性にかんがみ、任務違背とはならないというべきであろう。

しかしながら、本件においては、被告人が、山口県信用保証協会岩国支所長としての任務に違背し、その権限を乱用し、あるいは逸脱し、同協会をして、いわゆる病体企業者である小島一二の債務を保証させたものであることは、法廷意見に要約されたとおり(詳細は原判決参照)であるから、被告人の所為は、本人である信用保証協会に財産上の損害を加えたとの点を含め、背任罪の成立要件を充足するものである。

(裁判長裁判官 和田誠一 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

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